上杉景信
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上杉 景信(うえすぎ かげのぶ、? - 天正5年(1578年))は、戦国時代の越後国の武将。長尾氏の一族で家臣。父は長尾景明。弟に長尾景満、長尾景直。子に信虎、本庄繁長正室がいる。
略歴[編集]
越(古志)の十郎と言われる。古志長尾家の一族で、長尾家一門では筆頭格の地位にあった。
長尾為景・長尾晴景・長尾景虎の3代に仕えた。永禄4年(1561年)に長尾景虎が関東管領の山内上杉憲政から関東管領職と上杉家の名跡を継承した際、景信も長尾一門から上杉姓に改めたとされている。上杉謙信からは重用され、一門の筆頭として武田信玄と戦い、関山城の守将を務めた。
天正6年(1578年)に謙信が急死し、上杉景勝と上杉景虎との間で御館の乱が勃発すると、景信は後者に属している。これは上田長尾家の一族であった景勝との勢力争いも背景にあったと見られる。しかし、景勝に属した村上国清との戦いに敗れて戦死した。