上ノ国花沢館跡
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上ノ国花沢館跡(かみのくにはなざわたてあと)とは、北海道檜山郡上ノ国町勝山に存在する国指定の史跡である。
概要[編集]
室町時代中期の嘉吉3年(1443年)、小山隆政によって築造された。この館は北に天ノ川、左右は峡谷、後方には山稜が連なるという自然の要害だったことがわかる。なお、最初は名前を和喜館あるいは脇館と称していて、蠣崎季繁が居館としていた。享徳3年(1454年)、武田信広が蝦夷にやって来るとここで蠣崎氏の客将に迎えられた。
長禄元年(1457年)、コシャマインの戦いの際に道南十二館のうち、花沢館と茂別館のみがその攻撃を耐え抜いた。そしてこの功績により、信広は季繁の娘婿に迎えられて蠣崎家を継承し、天の川対岸にある州崎館に移り、さらに勝山館に居館を移した。慶長15年(1610年)、公家の花山院忠長が江戸幕府より罪を問われて蝦夷地に流罪に処された際、当時の当主である松前慶広はこの館ではなく、福山の万福寺に移して手厚く歓待した。
花沢館は昭和35年(1960年)に北海道の史跡に指定され、さらに昭和51年(1976年)には国の史跡に指定された。