三木久吉
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三木 久吉(みき ひさきち、明治7年(1874年) - 昭和16年(1941年))は、日本の内閣総理大臣である三木武夫の父。
経歴[編集]
徳島県阿波郡柿原村(現在の阿波市)で農業を営んでいた猪尾六三郎の次男[1]。
一時期、大阪で働いていたが四国に戻り、隣村の御所村の地主であった芝田家で働き、ここで三木タカノと知り合って結婚した。タカノが5歳年上の姉さん女房だった。結婚した後は三木と改姓し、芝田家から居宅などを与えられて分家し、肥料や雑貨を商う店を営んだ[1]。
子はタカノとの間には明治40年(1907年)に生まれた武夫のみだったが、その武夫が戦前から政治の世界に出ようとした際にはその活動を支え、借金の支払いに尽力したという[1]。
昭和16年(1941年)、妻より先だって67歳で死去した[1]。