ヴェルサイユ条約

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ヴェルサイユ条約( - じょうやく)とは、1919年6月28日に締結された、第一次世界大戦の講和条約である。

経緯[編集]

1918年11月11日、ドイツ帝国と連合国側の間で休戦協定が結ばれ、翌年1月18日よりパリ講和会議が開始された。アメリカ大統領ウッドロウ・ウィルソンは勝者が利を得ない「公正な平和」を掲げ、ヨーロッパ民衆から圧倒的な支持を獲得した。一方で、ジョルジュ・クレマンソー仏首相・ロイド・ジョージ英首相はドイツの徹底的な懲罰と自国の安全保障を主張、会議は紛糾した。結局、アメリカ国内でモンロー主義が再燃したり、ウィルソンがスペイン風邪で不調気味になったりしたための要求の多くが通り、「公正な平和」は実現されなかった。

内容[編集]

条約はドイツにとってあまりに過酷なものであった。アフリカの植民地は英仏に全て没収され、南洋諸島などの海外領土も喪失。本土ですらポーランドデンマークベルギーフランスに一部を割譲する羽目になった。何よりも深刻だったのが大幅な軍備制限と1320億金マルクという天文学的数字の賠償金で、ワイマール共和国の経済は大混乱に陥った。同じドイツ国民であるオーストリアとの合併も禁止された。

影響[編集]

全ては無駄であった。
あらゆる犠牲も、労苦も無駄であった。
こんなことのために、若者たちは戦死していったのか?
こんなことのために、少年はフランドルの地に埋もれたのか?

 - ドイツ軍のとある伍長

和平を望んでいたドイツ国民たちは条約の過酷さに驚愕し、アメリカ・協商国に対する反感が広まった。経済の混乱の中で過激派政党が乱立し、やがてナチスが誕生するのである。