フォー・コインズ
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フォー・コインズ Four Coins | |
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出身地 | 日本 |
ジャンル | 重唱 |
活動期間 | 1956年 - 1968年 |
レーベル | 日本コロムビア テイチクレコード |
メンバー | 坤野英二(ファースト・テナー) 風野三郎(リード・テナー) 小山欣一(バリトン) 三沢郷(ベース) |
フォー・コインズ(英語: Four Coins)は、1956年(昭和31年)から1968年(昭和43年)までに活動した、日本の男性4人の重唱団(ボーカルグループ)である[1][2]。1962年(昭和37年)に制作されたコカ・コーラの日本国内CM第1号 「コカ・コーラの唄」(スカッとさわやか)を歌唱した「日本のCMソングの声」の元祖コーラスグループでもあり、日本におけるコーラスグループの草分け的存在である[1]。愛称は、コインズ[3]。
資料によっては、フォーコインズ[4]、フォア・コインズ[5]の表記がある。
来歴[編集]
男声合唱団東京コラリアーズに所属していた4人で1956年(昭和31年)4月に結成と同時に太田事務所に所属、ペギー葉山リサイタルでデビュー[1][6]。ダークダックスやボニージャックスに続くプロのカルテットとして活躍[2]。
1959年(昭和34年)、シングル「忘れないよ / 可愛い人」でレコードデビュー[7]。
1962年(昭和37年)に制作されたコカ・コーラの日本国内CM第1号「コカ・コーラの唄」(スカッとさわやか)を歌唱したことにより、三木鶏郎ら日本のCM音楽草創期のスタッフに好評を得てCM・テレビ番組・アーティストなど多数の録音に参加した[1]。
1963年(昭和38年)、フォー・コインズ・ハワイ・アメリカ本土演奏旅行を6か月に渡って敢行し成功させた[1]。
1968年(昭和43年)、坤野英二が交通事故で亡くなったことから解散[2][1]。
メンバー[編集]
- 今野英二(こんの えいじ)[8][9]。本名、進藤 邦彦(しんどう くにひこ)[10][8][9]。別名義、坤野 英二(こんの えいじ)[4]。愛称は、コンちゃん[10]。ファースト・テナー[10][11]。西南学院大学文商学部英文学科卒業(1953年〈昭和28年〉)[12]。1968年(昭和43年)8月26日、交通事故により死去[2][8][9]。38歳没[8][9]。
- 風野三郎[4][13]。本名、毛屋 禎吉[13][注釈 1]。愛称は、テイちゃん[13]。西南学院専門学校英文科卒業(1951年〈昭和26年〉)[12]。リード・テナー[10][11]。解散後は本名で1984年(昭和59年)公開の映画『上海バンスキング』の歌唱指導を務めた[15]。
- 小山欣一(こやま きんいち、1931年〈昭和6年〉[16] - )[4]。岩手県東磐井郡東山町(現在の一関市)出身[16]。同志社大学神学部卒業[16]。バリトン[11]。
- 三沢郷[4](みさわ ごう[1]、1928年〈昭和3年〉2月26日[1] - 2007年〈平成19年〉11月20日[1])。東京大学文学部哲学学科美学科卒業[1]。リーダー[1]。ベース[11]。解散後は作曲家・編曲家に転身する[1]。作曲家・編曲家としては主にテレビ・CMを中心に活躍し『サインはV』、『デビルマン』などのヒット作を手掛ける[1]。作曲家として順風満帆だった1976年(昭和51年)にアメリカ合衆国ハワイ州に移住し[1]、アメリカ合衆国独立200年祭のアレンジャーや、CM・ハワイ州政府主催のイベントに関わる一方、コーラスグループ・ヤング・アメリカンズの専属編曲家・音楽監督を務める[1]。1990年代に引退を表明[1]。2007年11月20日午前4時(アメリカ合衆国西部時間)、パーム・スプリングス近郊で死去[1]。79歳没[1]。
楽曲[編集]
シングル[編集]
- 忘れないよ / 可愛い人(1959年、コロムビア)
- 雪山讃歌 / 惜春鳥(1959年、コロムビア)
- ブルー・ナイト・トウキョウ(1959年、コロムビア)[17]
- 白銀は招くよ(1960年、コロムビア)
- ああ小楠公(1960年、コロムビア)- 島倉千代子&フォー・コインズ
- 反逆児ユマ(1960年、コロムビア)
- 散歩唱歌(コロムビア)
- ラ・ラ・ラ・ラ・ラ / アンジェリタ(コロムビア)
- 青春は雲の彼方に / 大学数え歌(テイチク)
- 若き生命を(テイチク)
- アルペン数え歌 / アルプス一万尺(1963年、テイチク)
- 気のいいあひる / おお牧場はみどり(1963年、テイチク)
- トムとジェリー(1964年) - 梅木マリ&フォーコインズ
- おとこ独り / 野良犬がいく(1967年、テイチク) - NETテレビ時代劇『俺は用心棒』・『待っていた用心棒』・『帰って来た用心棒』主題歌/挿入歌。
- 花の若駒 / びっこの仔馬(1967年、テイチク) - フォー・コインズ&東京ヴォーカル・グループ。NETテレビドラマ『おれの太陽』主題歌。
- ああ明治は尊くなりにけり(1968年、テイチク)
- パンガの森 / あゝ草枕幾度ぞ(1968年、テイチク)
アルバム[編集]
- クリスマス音楽 サンタが町へやってくる(1959年、コロムビア)
- 魅惑のコーラス(1959年、コロムビア)
- 西部劇TV映画主題歌集 西部に躍る拳銃の歌(1960年、コロムビア)
- かもめの水兵さん(1960年、コロムビア) - 松島トモ子&フォー・コインズ
- うたごえ歌集 みんなで歌おう(1962年、テイチク)
- 青春は雲のかなたに "フォーコインズの山の一日"(1963年、テイチク)
- フォー・コインズのロシヤ民謡(1965年、テイチク)
- 想い出の″戦時歌謡集″(1967年、テイチク)
- 懐しの兵隊ソング(1967年、テイチク)
CMソング/企業関連[編集]
- 日本通運賛歌(テイチク)- 小林潤&フォー・コインズ
- 農機はヰセキ(井関農機)- 楠トシエ&フォー・コインズ
- 京阪特急(京阪電鉄)- 楠トシエ&フォー・コインズ
- 西川安眠ふとんの歌(西川産業) - スリー・ペット&フォー・コインズ
- コカ・コーラの唄(スカッとさわやか)(1962年 - 1968年、日本コカ・コーラ) - コカ・コーラ日本国内CM第1号[1]。
- ビタ明治牛乳の歌(明治乳業)
参加作品[編集]
- 男の唄(1959年、コロムビア)- 沢本忠雄。日活映画『風に唄う男』主題歌。
- 夜のため息(ハーレム・ノクターン) / 想い出は消えはしない(1959年、コロムビア)- 守屋浩。
出演[編集]
テレビドラマ[編集]
- 文部省芸術祭参加番組 ミュージカル・ショー 「それでも星は生れる」(1957年、NHK総合)四人のアンチャン 役[18]
- テレビ劇場 「大人たちと僕」(1957年、NHK総合)四人の借金とり 役[19]
- 煙突は笑ってる(1958年、NHK総合)合唱[20]
- カラーミュージカル 「ある日ある時ある所」(1959年、NHK教育) - 東京ローカル放送のカラーテレビ実験放送[21]。
- ミュージカルス「手をとりて歌わん」(1960年、NHK総合)[22]
- カラーテレビ実験放送 ミューシカル・ショー 「誘惑」(1960年、NHK教育)[23]
- ミュージカル 「ある片隅のしあわせ」(1960年、NHK総合)[24]
その他のテレビ番組[編集]
舞台[編集]
映画[編集]
脚注[編集]
注釈[編集]
出典[編集]
- ↑ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s “TV AGEシリーズ 三沢郷大全 GOH MISAWA SONGBOOK _ 商品情報”. 日本コロムビアオフィシャルサイト. 日本コロムビア. 2021年9月3日確認。
- ↑ a b c d 「西南グリーが織りなす音楽の系譜(PDF)」 、『西南学院史紀要』第11巻、西南学院、2016年5月、 50頁、2021年9月2日確認。
- ↑ 花の星座 ―NHKホール― 歌のスタイル・ブック~ワルツ集~ 花のスポット・ライト~林伊佐緒~今週のパレード - NHKクロニクル
- ↑ a b c d e 黄金の椅子(第118夜) 「フォーコインズ・ショー」 - NHKクロニクル
- ↑ a b テレビ・ショー 「君と唄えば」 - NHKクロニクル
- ↑ 『タレント名鑑 第1(1963年版)』 日本タレントクラブ、芸能春秋社、1963年、改訂版、ページ番号なし。
- ↑ 『平凡』(マガジンハウス)1959年8月号。
- ↑ a b c d “「フォー・コインズ」の今野英二さん事故死”. 朝日新聞夕刊 (朝日新聞社): p. 11. (1968年8月26日)
- ↑ a b c d “フォー・コインズの今野さん追突されて死ぬ”. 讀賣新聞夕刊 (読売新聞社): p. 10. (1968年8月26日)
- ↑ a b c d 「3.第二次世界大戦後」『西南学院グリークラブ創立四十周年記念誌 『四十年の歩み』』(PDF)11、西南学院、1960年12月30日、24頁。2021年9月2日確認。
- ↑ a b c d (レコードジャケット裏). 「バッキーとフォー・コインズの「ウクレレで歌おう」」. フォー・コインズ(コーラス), 久保内成幸(ソロ), バッキー白片ウクレレ・グループ(伴奏). テイチクレコード. (1963年). pp. 2. NL-1254.
- ↑ a b 「西南グリーが織りなす音楽の系譜(PDF)」 、『西南学院史紀要』第11巻、西南学院、2016年5月、 49頁、2021年9月2日確認。
- ↑ a b c 「3.第二次世界大戦後」『西南学院グリークラブ創立四十周年記念誌 『四十年の歩み』』(PDF)11、西南学院、1960年12月30日、22-23頁。2021年9月2日確認。
- ↑ 「3.第二次世界大戦後」『西南学院グリークラブ創立四十周年記念誌 『四十年の歩み』』(PDF)11、西南学院、1960年12月30日、1頁。2021年9月2日確認。
- ↑ “上海バンスキング”. 国立映画アーカイブ. 国立映画アーカイブ. 2021年9月3日確認。
- ↑ a b c 『岩手年鑑 昭和49年版』 岩手日報社、1973年、537頁。
- ↑ “東京レコード散歩 その⑮ 東京タワー”. 歌謡曲リミテッド - KAYOKYOKU LTD.. コラム/レビュー. CDジャーナル (2015年4月20日). 2021年9月2日確認。
- ↑ 文部省芸術祭参加番組 ミュージカル・ショー 「それでも星は生れる」 - NHKクロニクル
- ↑ テレビ劇場 「大人たちと僕」 - NHKクロニクル
- ↑ ドラマ 「煙突は笑ってる」 - NHKクロニクル
- ↑ カラーテレビ実験放送(東京ローカル) カラーミュージカル 「ある日ある時ある所」 - NHKクロニクル
- ↑ ミュージカルス「手をとりて歌わん」 - NHKクロニクル
- ↑ カラーテレビ実験放送 ミューシカル・ショー 「誘惑」 - NHKクロニクル
- ↑ ミュージカル 「ある片隅のしあわせ」 - NHKクロニクル
- ↑ a b なにしてあそぼう(幼稚園・保育所) 「長い線をかいてみよう」 - NHKクロニクル
- ↑ a b なにしてあそぼう(幼稚園・保育所) 「ズブズブ粘土」 - NHKクロニクル
- ↑ ミュージカル・プレイ「街角」 ―村松 喬 原作“十時二十分”より― - NHKクロニクル
- ↑ 劇場中継 「津軽めらしこ」 ~東京宝塚劇場で録画~ - NHKクロニクル
- ↑ 月光仮面(1958) - 映画.com