ハールーン・アッ=ラシード
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ハールーン・アッ=ラシード(766年3月17日 - 809年3月24日)は、アッバース朝の第5代カリフ(在位786年 - 809年)[1]。アッバース朝の全盛期を築いたカリフとして知られる[1]。
生涯[編集]
第3代カリフ・マフディーの子[1]。母は王妃でイエメン出身のベルベル人奴隷であったハイズラーン[1]。生前は父親から寵愛され、父が785年に死去すると跡を継いだ同母兄のムーサー・アル=ハーディーに対して次の後継者にはハールーンにするように遺言するほどだったという。父の時代から既に政治家・軍人として活動を始めており、若くして東ローマ帝国との戦いにも参戦している[1]。兄・ハーディーの時代には父の遺言で自分の息子を後継者にしたい兄から嫌われて不和になる。しかし786年にハーディーが急死したため、跡を継いだ[1]。
若年のため、ペルシア人官僚のヤフヤーの後見を受け、ヤフヤーをワズィール(宰相)に任命してヤフヤーの家系であるバルマク家の補佐を受ける[1]。797年・803年・806年と3度にわたって東ローマ帝国と戦い、いずれも勝利した[1]。一方で803年には権力を掌握しすぎた後見のバルマク家を追放して自らの親政を開始する。ハールーンは文化の奨励に熱心で、学芸を奨励してフランク王国など各地の異文化を取り入れ、また様々な物品を交換してこの時代にバグダードは人口が200万に及ぶ大都市に成長し、イスラム文化の黄金時代となった[1]。
ハールーンも晩年になると政治に倦み、実権は側近の軍人に掌握されだすようになる[1]。また、地方で反乱が起き出すなど不穏な空気が強まる中で[1]809年に死去。享年44。跡を子のアミーンが継いだ。
ハールーン・アッ=ラシードが登場する作品[編集]
古典文学[編集]
アニメ映画[編集]
- ドラえもん のび太のドラビアンナイト(ハールーン・アル・ラシードとして登場)