マフディー (アッバース朝カリフ)
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マフディー(744年 - 785年8月4日)は、アッバース朝の第3代カリフ(在位775年 - 785年)[1]。マフディーとは「救世主」を意味する。
生涯[編集]
第2代カリフ・アブー・ジャアファル・アブドゥッラー・イブン・ムハンマド・アル=マンスールの子[1]。775年に父が死去したため跡を継ぐ。大変敬虔な人物で、1日5回の礼拝の折にはそのたびごとに多くの人々と共に列席した[1]。
国政においては父親の施策を継承して反アッバース朝勢力の鎮圧に尽力し、マニ教など異勢力の宗教を異端と見なして処刑・弾圧した[1]。東ローマ帝国に派兵するなど勢力拡大、国内安定に努める一方、ギリシャ古典哲学の作品をアラビア語に翻訳するなど文化事業にも尽力した[1]。
785年に死去。享年42。ただし745年が生年とする説もあり[1]、この場合は享年が41となる。
跡を子のムーサー・アル=ハーディーが継いだ。