ニュースステーション
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ニュースステーション(にゅーすすてーしょん)とは、1985年10月~2004年3月までテレビ朝日および系列局(クロスネット局を除く)で放送していた報道番組。
概要[編集]
報道体制が他系列に比べ脆弱とされたテレビ朝日系列で中学生にも分かるニュースを目指し様々な工夫がなされた番組である。
まず、局外から久米宏をメインキャスターに起用し、キャスター・コメンテーター・アナウンサーが出演しニュースを伝える形式となった。また、第2次オイルショック以降、民放で定着した「最終ニュース=23時台かつ15〜20分枠」の常識を打ち破り、月 - 木で22時開始とし1時間15分の放送枠として、ニュースの背景や解説に多くの時間を割いた。(1988年には金曜日も22時台開始、1時間15分放送枠となる。)
後年、本番組はニュース番組の革命とも呼ばれ、情報番組の先駆けとも言える。これらは今の「報道ステーション」でも引き継がれている。
影響等[編集]
- 開始当初、金曜日は「ビッグニュースショー」→「TVスクープ」の時間枠を引き継いだ23時台、55分枠の放送だった。これは朝日放送がTBS系からのネットチェンジ以来の必殺シリーズの放送枠を手放さなかったためだが、ムックまで出された「金曜チェック」等の名物コーナーを放送することで、22時台に放送できないハンデを切り抜けた。後に、必殺シリーズは視聴率不振で、1987年9月に終了。2本の現代劇ドラマを挟み、1988年4月に朝日放送はテレビ朝日に放送枠を渡して、平日全曜日の放送時間を統一した。
- 民放ライバル局のうち、TBSテレビがすぐさま対抗策として、1987年10月に22時台の「ニュース22プライムタイム」を開始。しかし、月 - 木の視聴率は競合する地域[注 1]ではいずれも後塵を拝し、その後、「ニュースデスク88→89」となったが、約2年後の1989年10月に現在まで続く「news23」となって、22時台ニュースから撤退した。しかし、開始当初、22時台のニュースを独占した金曜日は善戦し、前述の平日全曜日の統一化に影響を与えたと思われる。
なお、22時台をニュースにしたTBSは23時台に帯ドラマの「ドラマ23」を放送。「白鳥麗子でごさいます」等の傑作を放送したが、22時台ニュース撤退はむしろ「ドラマ23」が失われた代償の方が大きかった(ように感じる)。なお、本番組の末期にはNHK総合テレビが裏番組のNHKニュース10の放送を開始した。 - 当番組はテレビ朝日系列の看板番組となり、非ネット地域での隣接地域からのスピルオーバー視聴やケーブルテレビでの視聴も多く、平成以降「〇〇朝日放送(朝日テレビ)」と名乗る平成新局が増加。山形テレビもフジ系列からテレ朝系列に乗り換え、開始時に宮城と福島しか系列局が無かった東北地方では6県全部にテレ朝系列局ができることになった。
- 最終ニュースの時間拡大は他系列にも影響。日テレ系も老舗の「きょうの出来事」や「スポーツニュース」の放送時間がどんどん拡大。「11PM」は表題とかけ離れるようになり、1990年3月に終了した。「プロ野球ニュース」でスポーツワイドショーの分野を確立したフジ系も最終ニュースに「プロ野球ニュース」を内包させるかたちで一般ニュースを拡大。「プロ野球ニュース」自体もワイドショー色が消え、結果中心となった。
- テレビ朝日は本番組に気を良くしたのか、1987年に夕方ニュースも19時台の「ニュースシャトル」に改編したが、ナイター中継等で制約が出て、2年余りで終わった。
- 当番組の後番組(近畿地方は除く)「トゥナイト」は、「11PM」に対抗したお色気・娯楽色が強かったが、「トゥナイト2」に変わる頃には、本番組視聴者を引っ張る社会派のテーマが多くなった。
その他[編集]
- 本番組開始前のテレビ朝日の22時枠は、月曜は2時間ドラマ、水曜は刑事ドラマ、火・木曜はバラエティ枠だった。さらに遡ると火曜日は朝日放送制作枠、木曜はドラマ枠で、ニュースステーションの直前は長寿番組が終了して迷走状態だった。
- 本番組開始前のテレビ朝日系列の23時台の最終ニュースである「ANNニュースファイナル」は、アナウンサーがキャスターを務め、淡々とニュースを伝える形式(今で言うとNHKの正午のニュースにあたる)だった。しかしながら、1971年3月まで3年半放送された「ANN 夜のワイドニュース」は、キャスターがニュースの背景説明や専門家を呼んでの座談を行っており、本番組は14年ぶりのコンセプト復活とも言えなくもない。