ニクソン・ショック

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ニクソン・ショックNIXON・SHOCK)とは、東西冷戦下の1971年7月15日、当時のアメリカ合衆国大統領リチャード・ニクソンが極秘裏に進めていたアメリカ・中華人民共和国の米中国交正常化交渉と、1972年5月までに訪中する意向を電撃的に発表したことで、世界に衝撃を与えたことである。1971年8月15日ドルの交換停止を発表して世界経済を震撼させたのと合わせて「2つのニクソン・ショック」とも言われている。

当時の毛沢東指導下の中国では、ソ連とのイデオロギー対立が先鋭化して1969年には中ソ国境で武力衝突も発生し、それによりソ連と対立するアメリカと中国では利害が一致していた。当時のアメリカではベトナム戦争が泥沼化し、ソ連に対する覇権維持に躍起になっていた。そのため、ニクソン政権の大統領補佐官であったヘンリー・キッシンジャーパキスタンの外遊先で腹痛を理由に姿をくらまし、1971年7月9日に密かに北京に入って周恩来首相と会談し、翌年のニクソン大統領の訪中の地ならしを行なった。そして7月15日にニクソンは訪中の意向を電撃発表し、これがニクソン・ショックとなった。

日本でもこの影響は大きかった。当時の政権は佐藤栄作政権だったが、その後の田中角栄政権の時に日中国交正常化を進めることになり、田中は訪中することになった。

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