ゼンノエルシド
ゼンノエルシド | |||||||||
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欧字表記 | Zenno El Cid | ||||||||
品種 | サラブレッド | ||||||||
性別 | 牡 | ||||||||
毛色 | 青鹿毛 | ||||||||
生誕 | 1997年3月26日 | ||||||||
死没 | 2024年9月1日(27歳没) | ||||||||
父 | Caerleon | ||||||||
母 | エンブラ | ||||||||
母の父 | Dominion | ||||||||
生国 | アイルランド | ||||||||
生産 | Orpendale | ||||||||
馬主 | 大迫忍 | ||||||||
調教師 | 藤沢和雄(美浦) | ||||||||
競走成績 | |||||||||
生涯成績 | 18戦6勝(うち海外1戦0勝) | ||||||||
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ゼンノエルシド(Zenno El Cid、1997年3月26日 - 2024年9月1日)は、アイルランド生まれの日本の競走馬、種牡馬である。
戦歴[編集]
1997年にアイルランドで生産され、日本へと輸入される。「ゼンノ」の冠名で知られる大迫忍が馬主となり、ゼンノエルシドと名付けられた。
1999年10月10日、東京競馬場第2競走・芝1800mの新馬戦でデビュー。この競走のパドックに姿を現したゼンノエルシドは、メンバー中唯一の牝馬マルターズスパーブを見て性的興奮を起こし、自らの陰茎を激しく勃起させた(馬っ気)。その後馬場へ入場した後もゲート入りを嫌がり、挙句スタートは出遅れた。レース中にも馬ッ気を出しながら走りつづけ、直線では6番手から抜け出すといいモノを見せ前を走る各馬を抜き去り、そのまま1着でゴールイン。結局終始ブラブラさせていたイチモツは判定写真にもはっきりと写っていた。
なおこの馬っ気を出した理由は自身の強さをアピールするためとも言われるが、何が本当かはゼンノエルシドのみぞ知る。
レース後、騎乗した岡部幸雄は「いいモノを持っている」と意味深なコメントを残してファンの爆笑を誘った。この新馬戦の映像は後日グリーンチャンネルで放送され、彼の立派な陰茎を5本目の脚に見立てて「五本足の馬」なる異名を取った。更にこの後のレースでは「男を魅せろ!ゼンノエルシド」といったいナニを見せることを期待でもしているのかという文言の横断幕が掲げられるハメになった。
オープンクラスのいちょうステークスに出走後年内は休養に充て、2000年は5月の夏木立賞より始動。同レースで勝利し、夏の間は函館で2戦して1勝。年末のクリスマスカップで3着に入って2000年シーズンを終えた。
2001年は東京新聞杯より始動。朱雀ステークス、下鴨ステークスに出走するも収得賞金積み上げには届かないレースが続いたが、8月の摩周湖特別で1年ぶりに勝利。9月の京成杯オータムハンデキャップで芝1600mのレコードタイム付で勝利を挙げ、男を魅せた。スプリンターズステークスでの10着を経て11月のマイルチャンピオンシップでGI初勝利を挙げ、男を魅せた。その後は香港マイル、京王杯スプリングカップ、安田記念、スワンステークス、マイルチャンピオンシップに出走するも全て掲示板にすら載らない結果に終わり、引退した。
種牡馬時代[編集]
引退後は種牡馬として供用。10シーズンで208頭が血統登録され、185頭が出走した。
2014年を最後に種牡馬からも引退。北海道の村上牧場で功労馬として余生を過ごしていたが老衰により、2024年9月1日に27歳で死去した。
脚注[編集]
外部リンク[編集]
- 競走馬成績と情報 netkeiba、スポーツナビ、JBISサーチ、Racing Post