クリミア戦争

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クリミア戦争 (くりみあせんそう)は19世紀半ばにヨーロッパ、主にクリミア半島で起きた戦争である。

概要[編集]

ロシア黒海コーカサスへの南下に対して植民地であるインドが脅かされる可能性を感じたほか、オスマン帝国が崩壊した際にその領土の配分を得ようとしたイギリスフランスオスマン帝国と同盟を結んで争った。近代的なイギリス、フランス連合軍に前近代的なロシアの軍隊はなすすべもなく敗れた。

開戦[編集]

1853年10月4日、オスマン帝国はロシアに宣戦布告した。その後、オスマン帝国支援を名目にロシアの南下阻止を目的として1854年3月28日にイギリスとフランスはロシアに宣戦布告した。 この海戦で外輪船の外輪が砲撃で破壊され、外輪船の衰退に繋がった。また、1854年11月4日イスタンブールに到着したフローレンス・ナイチンゲール野戦病院で献身的な看護を行い、看護婦の地位向上が認められた。

オーストリア=ハンガリー帝国もオスマン側で参戦しようとしたが、プロイセンの外交官ビスマルクの妨害で失敗に終わった。

関連項目[編集]