クインオブローズ

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クインオブローズ
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現役期間1986年 - 1990年[1]
品種アングロアラブ(アラブ血量27.52%)[1]
性別[1]
毛色栗毛[1]
生誕1984年4月15日[1]
死没不明
抹消日1992年8月1日[2]
ホウラツキー[1]
ニシノローザ[1]
母の父タロー[1]
生国日本国旗.png日本北海道静内町[1]
生産西村耕司[1]
馬主山根春夫[1]
→豊田武
調教師田原義友(益田
→白津壽己(福山
→田原義友(益田)
競走成績
生涯成績81戦24勝[1]
獲得賞金894万9000円[1]
勝ち鞍日本海特別(1989年)

クインオブローズ1984年4月15日 - 不明)は、日本競走馬。主な勝ち鞍は1989年日本海特別

経歴[編集]

1986年昭和61年)5月19日益田競馬場1R アラ系3才 #(ダート800m)でデビューし1着。その後は、一般競走特別競走にて不安定ながら勝ち星を重ねていき13戦目の若鮎特別トモユキタイムの4着を記録した。その後も益田で一般、特別問わず活動。1987年(昭和62年)5月18日のぼたん賞の勝利を経て益田優駿へ挑戦するも全く歯が立たずシビヤマロツトの8着と撃沈した。次戦からC級へ昇格するも7月5日の八本松特別(6着)を最後に福山競馬場へ移籍。福山ではC級の一般競走に出走したのみで特に目立った活躍はなく、1988年(昭和63年)11月には再び益田に戻っていた。益田に戻ってからはA級戦線へ昇格。安定した成績を残せるようになり、1989年(平成元年)7月9日の日本海特別にて重賞初制覇。その後も安定感を失うことなく活躍、1990年(平成2年)1月4日には連覇をかけて日本海特別へ挑むもホウワトスターの2着と敗れ実現しなかった。その10日後には中津競馬場へ遠征。ガーネット特別へ出走するも人気に応えられず5着を記録した。結局その年の12月23日に行われたアラ系一般を最後に現役を引退。繁殖牝馬へは上がらず、その後の消息は不明。

競走成績[編集]

  • 1986年(14戦6勝)
  • 1987年(22戦6勝)
  • 1988年(18戦4勝)
  • 1989年(21戦8勝)
  • 1990年(6戦0勝)

血統表[編集]

クインオブローズ血統 (血統表の出典)[§ 1]

ホウラツキー
Ho Lucky
1970 栃栗毛
父の父
イーグル
1958 黒鹿毛
Court Martial Fair Trial
Instantaneous
Ark Royal Straight Deal
Felucca
父の母
ハクギン
1962 栃栗毛
ハクチカラ トビサクラ
昇城
銀治 ニーフアン
雪家

ニシノローザ
1980 鹿毛
タロー
1975 栗毛
Montfleur ボウプリンス
Sweet Talk
Toscane IV Djerba Oua
Traviata III
母の母
タニノクレオパトラ
1966 黒鹿毛
ハマノオー ライジングフレーム
梅剛
クサブエ 方景
ミスキヨウト
出典


脚注[編集]

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  1. a b c d e f g h i j k l m クインオブローズ”. JBISサーチ. 日本軽種馬協会. 2022年10月23日確認。
  2. クインオブローズ 出走履歴”. www2.keiba.go.jp. 2022年10月23日確認。
  3. 血統情報:5代血統表|クインオブローズ”. JBISサーチ. 2022年10月23日確認。

外部リンク[編集]