キム・ドク

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キム・ドク(本名・戸口正徳、1947年2月7日‐)は、東京都出身の在日韓国人プロレスラー。タイガー戸口とも名乗る。

概要[編集]

父親が元相撲取りで、大型の選手。高校生時代からプロレスラーになる事を目指し高校三年間で英語をマスターした。日本プロレスに入門したが、日本プロレス崩壊後にはアメリカに拠点を移す。アメリカではトップレスラーになり稼いだという。1978年10月、大木金太郎と組んで韓国子弟コンビとして活躍。インタータッグを二度獲得した。大木金太郎がブッチャーと組んだためコンビを解消し日本人サイドに入る。ジャイアント馬場ジャンボ鶴田についで全日本プロレス第三の男として活躍する。髭を剃り、タイツを星のついたフランス国旗柄にしたり、NWA世界ヘビー級選手権王座に挑戦したりするなど最初は売り出されていた。だがしかし、それまで大木とのコンビで出ていた暮れの最強タッグにも出られず、タイトル挑戦の機会もないままの状態が続き「無冠の虎」と呼ばれるほど待遇は低下していた。

全日本プロレスと新日本プロレスの間でブッチャー引き抜きから始まる興行戦争が起きた時、新日本プロレス側から高額のオファーを出されて新日本に移籍。「俺はストロング小林にならねぇ」との名台詞を残す。引き抜き後、アントニオ猪木と田園コロシアムで一騎打ちをし借敗する。以後、キラー・カーンと対戦したり、カーンとのタッグで準優勝したりしていたが、だんだん扱いが悪くなり年末のタッグでは無名外国人レスラーのケリー・ブラウンとタッグを組むまで落ちぶれた。同時期、ジャパンプロレスが全日本プロレスと興行をしており、ジャパンプロレスの社長の手引きで覆面レスラービッグ・ブラック・モンスターとしての参加が内定していたが、馬場の反対により実現しなかった。宙ぶらりんになったキム・ドクはアメリカに渡る。

その後は栗栖正信の部下として新日本プロレスに参戦。WINGにプエルトリコ軍団として参戦。映画にアクション俳優として出演。WWFで前座に出場。メキシコで覆面レスラーのヤマトと名乗ってカネックと対戦。東京プロレスリー・ヒ とタッグを組んで三億円ベルト争奪戦の前哨戦に参加。WARで赤鬼のドン・ムラコとタッグを組み青鬼と名乗る等の活躍を見せていた。

ジャイアント馬場の逝去時には一番初めに弔問客として訪問し、出禁を解かれている。直後全日本プロレスに出戻り参戦した。2022年5月31日の六人タッグを機会に引退した[1]

得意技[編集]

その他[編集]

ベビーフェイスよりヒールが合っているのか、多くの地区でヒールを演じている。キャリア後半では祖国韓国でもヒールだった。

脚注[編集]