イルハン朝

出典: 謎の百科事典もどき『エンペディア(Enpedia)』
イル・ハン国から転送)
ナビゲーションに移動 検索に移動
Wikipedia-logo.pngウィキペディアの生真面目ユーザーたちがイルハン朝の項目をおカタく解説しています。

イルハン朝(イルハンちょう、1256年/1258年 - 1335年/1353年)とは、現在の西アジア一帯を支配したモンゴル帝国王朝である。イル・ハン国イル・カン国の名称でも知られる。イルハンはトルコ語で「国の王」を意味する。

歴史[編集]

この王朝の創始者はチンギス・ハーンの孫であるフレグである。フレグはチンギスの子・トルイの子であり、長兄のモンケが第4代モンゴル帝国皇帝即位した際、1253年からモンケの命令を受けて西アジア方面への西征に出発し、1256年イスマーイル派の暗殺教団の本拠地を包囲の末に陥落させた。この時をもってイルハン朝の成立と見る説がある。あるいはその後も西征を続け、1258年アッバース朝首都バグダードを攻略して徹底的に破壊し、同朝のカリフムスターフィム処刑して西アジア方面をほぼ支配下に置いたが、この時をもってイルハン朝の成立と見る説もある。

1260年、フレグはさらに西進してシリア方面の十字軍国家を屈服させ、さらに同地で勢力を拡大していたアイユーブ朝の残存勢力を滅ぼしてダマスカスを攻略する。ところがここでモンケが前年に死去したことを聞かされてそれ以上の侵攻を中止して引き揚げようとする。しかし、フレグがいなくなった間隙を突いてマムルーク朝バイバルスが反撃を開始し、それにより発生したアイン・ジャールートの戦いでシリアの留守部隊が壊滅してしまう。さらにモンケの死後、その後継者の地位をめぐって兄のフビライと弟のアリクブケによるモンゴル帝国継承戦争が発生すると、フレグはモンゴルへの帰還を諦めて現在のイランイラクを中心にしたイルハン朝を正式に興して独立した。

このイルハン朝はマムルーク朝、ジョチ・ウルスチャガタイ・ハン国に包囲されており、そのため常に領土問題で争いが絶えなかった。フレグは兄のフビライが継承戦争で勝利すると、その宗主権を認めて友好関係を結ぶことで対抗した。フレグは建国したばかりの王朝の整備に努めたが、1265年に死去してしまう。

第2代皇帝となった息子のアバカの時代、1270年にチャガタイ・ハン国がイルハン朝を滅ぼそうと大軍をもって侵攻するが、これをカラ・スゥ平原の戦いで壊滅させて逆に王朝の実力を近隣に示した。アバカは周辺諸国、特にマムルーク朝やジョチ・ウルスに対抗するため、ビザンツ帝国と婚姻関係を結んでキリスト教徒を優遇する。しかし、この婚姻関係は十分に生かせることなく、アバカは1281年にマムルーク朝との戦いで大敗を喫し、1282年に死去してしまう。

アバカの死後、この王朝ではモンゴル帝国お約束の後継者争いが続発した。アバカの息子・アルグンが第4代皇帝になることで一時は静まりはしたが、このアルグンが1291年に若死すると争いが再び起こる。結局、この争いは1295年にアルグンの息子であるガーザーンが第7代皇帝に即位するまで続くことになり、その間に即位した皇帝は有力者に左右されて殺される悲惨な運命をたどることになった。そのガーザーンであるが、内乱を収拾させると、直ちに被支配地の民族との融和を目指してイスラム教に改宗し、イルハン朝のモンゴル人のイスラム化を進めた。さらに有能な人材を登用して内政改革を推進する。ガーザーンの死後は弟のオルジェイトゥが第8代皇帝となり、この兄弟の時代にイルハン朝の内政は整備されて全盛期を迎えた。しかし、この兄弟はいずれも若死し、その全盛期は25年ほどで終焉した。

オルジェイトゥの死後、第9代皇帝として即位したのはその息子のアブー・サイードであったが、彼は父や伯父に比較して器量が無く、伯父の時代からの重臣を次々と殺戮したりした。さらに対外戦争でも失敗の連続で、この時代にイルハン朝は全盛期に築き上げた国力をほぼ消耗した。1335年にアブー・サイードが死去すると、彼に後継者となる息子がいなかったことから再び後継者争いが再燃し、イルハン朝はそれにより実力者がイルハン朝の皇族を祭り上げる分裂状態に陥った。結局、1353年までにイルハン朝の皇族はほぼ全滅した。イルハン朝の分裂をもって滅亡と見るか、1353年の全滅をもって滅亡と見るかは諸説が存在する。

イルハン朝の歴代君主[編集]

  1. フレグ(1256年/1258年 - 1265年)
  2. アバカ(1265年 - 1282年) - フレグの子。
  3. アフマド・テクデル(1282年 - 1284年) - アバカの弟。
  4. アルグン(1284年 - 1291年) - アバカの子。
  5. ゲイハトゥ(1291年 - 1295年) - アルグンの弟。
  6. バイドゥ(1295年) - フレグの五男・タラガイの子。
  7. ガザン(1295年 - 1304年) - アルグンの子。
  8. オルジェイトゥ(1304年 - 1316年) - ガザンの弟。
  9. アブー・サイード(1316年 - 1335年) - オルジェイトゥの子。後見人はチョバン
  10. アルパ・ケウン(1335年 - 1336年) - フレグの弟アリクブケの曾孫。

アルパ・ケウン殺害後の諸ハン