アブドゥルマリク
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アブドゥルマリク(647年 - 705年10月8日)は、ウマイヤ朝の第5代カリフ(在位:685年 - 705年)。ウマイヤ朝の全盛期を築いたカリフである。アブド・アルマリク(Abd al-Malik ibn Marwan)とも言われる。
生涯[編集]
父は第4代カリフ・マルワーン1世の子で、685年に父が死去したため跡を継いだ。当時のウマイヤ朝は分裂状態で滅亡の危機に立たされていたが、アブドゥルマリクはシリアのアラブ軍を再編成し、その兵力で反乱が起きていたイラクを再征服する[1][2]。さらに父を反乱で苦しめたイブン・アッズバイルを滅ぼしてメッカまで失地を回復し[2]、その他の反ウマイヤ勢力も抑えて支配領域をほぼ回復してウマイヤ朝を再統一した[1]。
統一後は東ローマ帝国と交戦して領土を拡大し、東部はソグディアナや西北インドのシンド地方まで、西はモロッコ西部まで版図を拡大する。また行政では東ローマ(ビザンツ)やペルシアの貨幣をやめて新たに金・銀貨を鋳造し、異教徒を官僚から排除してアラブ人に変え、アラビア語を公用語として公文書をそれで統一するなど、ウマイヤ朝中興の英主として多くの事績を残した[1][2]。教養や詩才など文化的な才能にも優れ、聖地エルサレムに岩のドームを建立した[1]。
705年に死去。享年59。跡を子のワリード1世が継いだ。