もつ鍋
もつ鍋(もつなべ)とは、牛や豚のモツを主材料とする鍋料理である。福岡市周辺の料理がルーツと言われる。精力を増強させる料理という意味からホルモン鍋ともいわれる。「もつ鍋」は1992年の新語部門銅賞を獲得した。
概要[編集]
汁を張った鍋の中に、もつ(牛または豚の腸などの臓物)を入れて味がつく程度に煮込み、後にキャベツやニラ等を入れ、頃合いになったら食べる。汁の味付けには醤油味にニンニクや唐辛子を入れたものと、味噌味のものがある。もつ・野菜を食べた後に残った汁にちゃんぽん麺を入れて煮込む場合がある。
飲食店で提供されるもつ鍋は、牛の腸のみを入れるものが多いが、もつ鍋本来の意味からは、白もつのみではなく多種多様な臓物肉が使用される事がある。また様々な部位の臓物肉を同時に入れるもつ鍋も決して特殊なケースではない。
沿革[編集]
第二次世界大戦後に博多付近でアルミ鍋でホルモンとニラを炊いて醤油味で食べていたのがルーツと言われる。1960年代にごま油で唐辛子を炒め、もつを入れてから味付け用調味料とネギ類を入れるすき焼き風料理が登場した。その後経済成長とともに、キャベツが加わり「もつ、にら、キャベツ、醤油味スープ、ちゃんぽん麺」の組み合わせが生じる。
1992年頃に博多のもつ鍋店「元気」が東京・銀座に進出し、もつ鍋ブームが生じた。「もつ鍋」は同年の新語部門銅賞を獲得し、受賞者はもつ鍋「元気」の主人・井上修一であった。
もつ鍋が「郷土料理」であるという説は、戦前には博多にも「もつ鍋」はなかったし、戦後すぐの時期に博多でもつ鍋を知っている人は少なかったので、正しいとはいえない。おそらく韓国もつ鍋(コプチャンチョンゴル)が源流と思われる[1][2]。 しかし、その後、博多では独自に発展し、ちゃんぽん麺やみそを入れるなど変化したので、現在では博多独特の料理に進化したともいえる。
もつ鍋福岡発祥に対する異説[編集]
もつ鍋は炭鉱地区・食肉処理場近辺の郷土料理であり、福岡市・博多では知られていなかったものの、東京での流行(先述)をうけて、福岡市・博多地区でもモツ鍋が一般的に受け入れられるようになった。従って「博多名物」というのは誤りであるとする者もいる。
また、福岡の和菓子店だった「万十屋」の松隈ハツコが戦後和菓子の材料である砂糖などが手に入りにくくなり和菓子の製作が難しくなったため、当時唐津から福岡に売りに来ていたモツを使い鍋物として売り出したのが福岡のモツ鍋のルーツとも言われ、現在万十屋は福岡のモツ鍋発祥の店とされている。
もつ鍋の素材[編集]
ホルモンは内臓のことで、劣化が早く、独特の臭みがあるので、人により好き嫌いが分かれる。素材は様々な組み合わせがある。
材料は生もつ(豚、牛)、キャベツ、ニラ、もやしなどを使うが、そのほか豆腐、にんじん、を使う場合もある。スープには「鶏ガラスープの素、醤油、みりん、水、にんにく」を合わせる。元来は醤油だけで味付けしていたが、みそ味や和風だしのスープもある。
調理前の下ごしらえが重要と言われる。もつ鍋の鍋は土なべではなく、ステンレス鍋がつかわれる。もつの部位により、赤もつ、白もつがある。
大阪語源発祥説[編集]
内臓はすてるものなので、関西弁で「放るもん」、すなわち「捨てるもの」の意味からホルモンになったという説がある。戦前の関西では内臓料理に限らずスタミナ料理一般、スッポン料理などもホルモン料理と言われていたので、必ずしも捨てていたものではなかった[3]。
「もつ」は臓物(ぞうもつ)の「もつ」に由来するとの説の方が有力のようである。
よく似た食べもの[編集]
よく似た食べものに、下関市の「とんちゃん鍋」がある。戦前、下関で在日コリアンの生活の糧として生まれた創作料理であり[4]、下関のコリア・タウンであるグリーンモール商店街には、とんちゃん鍋を提供する店が多く並ぶ。