きかんし

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株式会社きかんし
画像募集中.png
種類株式会社
本社所在地日本国旗.png日本
135-0053
東京都江東区辰巳2-8-21
設立1949年9月1日
業種印刷業
代表者佐藤操
資本金2億8千万円
従業員数112名
外部リンクhttps://www.kikanshi.co.jp/

株式会社きかんしは、東京都江東区に本社を置く印刷会社。旧社名は株式会社日本機関紙印刷所

概要[編集]

1949年に労働組合や民主団体の機関紙印刷所として、全国からの寄付で設立された。労働組合や各種団体の機関紙、専門紙の印刷を手掛ける。1960年から23年間、日本共産党の機関紙『しんぶん赤旗』を印刷した[1]。広報紙(フリーペーパー)として、季刊「ぷりおーる」を発行している。

営業品目[編集]

新聞製作、出版制作、宣伝物、各種グッズ、事務系グッズ、デジタルメディア、情報制作、企画商品、イベント企画、編集・デザイン、発送代行業務、各種商品企画・クロスメディア[2]

事業所[編集]

沿革[編集]

戦後、労働運動、民主運動が大きく発展したが、これに危機感を持ったアメリカ占領軍は政府を通じて用紙統制を行い、労働組合や民主団体の機関紙への割り当てを制限した。こうした言論弾圧の中で、1947年11月26日に用紙獲得の場として日本機関紙協会が設立された。その後も毎日新聞社に委託していた7紙が印刷を突然拒否されるなど機関紙の発行が危ぶまれる状況となり、1948年9月に日本機関紙協会は1000万円の「共同印刷所」設立趣意書を各団体に配布した。これに呼応して労働組合・民主団体による共同印刷所の建設を求める運動が起き[3]、日本機関紙印刷所(現・きかんし)や関西共同印刷所が設立されることになった[4]

株式会社日本機関紙印刷所は、産別会議傘下の主要労組が組合員3円カンパを募り、集められた450万円の資本金により、1949年9月1日に設立された。創立時の従業員数は52名、その年末には97名、利用団体数は労働組合40、その他20だった[5]。1950年6月25日に朝鮮戦争が勃発すると占領軍による労働組合・民主団体への弾圧は強化され、あかつき印刷と共に工場を閉鎖、印刷機が封印された[4]。その後も1952年4月までに2回の封印を受けた[5]

1949年、本社を東京都港区芝愛宕町2丁目100番地(現・西新橋3丁目)に置いた。1964年、港区金杉橋に鉄筋地上7階地下1階建ての金杉橋工場を開設。同年に本社の鉄筋コンクリート建替え工事に着手し、1965年に本社社屋第1期工事完成、1969年に鉄筋地上6階地下1階建ての本社第2期工事が完成した[6]。2000年9月、社名を「株式会社きかんし」に変更した。2004年1月、本社を江東区辰巳に建設し、移転した[3]

脚注[編集]

外部リンク[編集]