お田鶴の方
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お田鶴の方(おたづのかた、生年不明 - 永禄10年11月26日(1568年12月14日))とは、戦国時代の女性。鵜殿長照の娘。飯尾連龍の妻。
生涯[編集]
生年は不明。徳川家康が今川家の人質として預けられ、築山殿に嫁いだ関係により、同じく今川家に仕えた田鶴は築山殿の幼馴染とされている。
同じ頃、曳馬城主・飯尾連龍に嫁ぐ。桶狭間の戦いで大殿・今川義元が横死すると、家康は今川氏真を裏切って織田信長側についた。氏真は激怒し、家康と対立。田鶴は築山殿と対立した関係にのめり込んでしまった。
永禄10年(1568年)、田鶴は家康から連龍に送られた書状を今川館に送り、連龍が家康に通じている事を報告した。そして連龍は自害に追い込まれる。その後家康は信長の命で武田信玄と同盟し、遠江国に攻め込む。12月13日、家康軍は曳馬城を完全に包囲し、翌12月14日に自ら徳川の陣に突撃し戦死。
その後曳馬城は家康軍に取り込まれて大改修され、家康領の支城である浜松城となった。