龐 羲(ほう ぎ、生没年不詳)は、中国の後漢時代末期の武将・政治家。
司隷河南尹の出身[1]。最初は議郎となる。劉焉と先祖以来の親交があり、194年に劉焉の子の劉範・劉誕のクーデターが失敗すると龐義はその遺児を連れて益州に入り、劉焉の跡を継いだ劉璋から巴西郡太守に任命され、漢中の張魯と対峙した[1]。娘を劉璋の嫡子・劉循に嫁がせるなど権勢を誇るが、後に讒言で劉璋との関係が悪化した[1]。劉備の入蜀後は劉備に仕えた[1]。
『三国志演義』では第64回に登場し、劉璋に張魯の侵攻を急報している。