劉 循(りゅう じゅん、生没年不詳)は、中国の後漢末期から三国時代の蜀漢にかけての武将。父は劉璋で長男[1]。弟は劉闡。妻は龐羲の娘。
劉備の入蜀における戦闘では雒城に籠もって1年近くも抵抗する[1]。214年に父が劉備に降伏すると、父と弟は荊州の公安に身柄を移されたが、劉循は龐羲の勧めもあって成都に留まり、劉備から奉車中郎将に任じられた[1]。219年に関羽が孫権に討たれて荊州が奪われたため、劉循は父や弟と分かれてしまうことになった[1]。
『三国志演義』でもほぼ同じで、雒城に籠もって抗戦するが張翼の裏切りで開城したため、成都に逃げ帰っている。