鹿砦社

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株式会社鹿砦社(ろくさいしゃ)は、兵庫県西宮市に本社を置く出版社。株式会社エスエル出版会、株式会社鹿砦社デジタルの関連会社[1]

概要[編集]

1969年3月に『日本読書新聞』の労働組合がストライキに突入。スト解除までの約3ヶ月の間に営業の天野洋一(ICU出身)、編集部の前田和男(当時東大生)ら4人が出版社の立ち上げを構想し、同年中に東京都千代田区神田小川町で鹿砦社を創業した。同年10月に初の書籍として中村丈夫編『マルクス主義軍事論』を刊行した[2]。詳細は『紙の爆弾』2019年11月号増刊を参照。

社名を命名したのは中村丈夫で、「鹿砦」とは敵の侵入を防ぐため木や竹を鹿の角の形に組み合わせて作った柵を意味する。創業メンバーは社名に「バリケード」という言葉を使いたかったが、これでは直接的過ぎるので中村に相談したところ、古典に「鹿砦」という言葉があることを教わったという[2]。この社名について評論家の呉智英は「鹿砦にいたっては、マルクス主義者でさえ読まないマルクス軍事論集、すなわち大月版全集第十四巻を開いた人でなければ、若い人でなくてもわからないだろう」と書いているが[3]、これについて社長の松岡利康は「遠い私の記憶によれば、中村氏が使ったのは「改造社版」だったと私に語ったように思う」と書いている[4]

1972年1月31日に法人として株式会社鹿砦社を設立、この頃千代田区神田駿河台に社屋を移転した[2]。1988年4月に鹿砦社を発売元としていたエスエル出版会の松岡利康が友好的買収し経営を引き継いだ[2][5]ロシア革命新左翼関係の書籍を出版してきたが、1994年12月に芸能関係中心へと路線転換を行い[2]、芸能界やスポーツ界のスキャンダルを取り上げた「暴露本」、タレントの住所や電話番号を掲載した「追っかけ本」を出版して話題となった。

鹿砦軍事叢書[編集]

  • 1.渡辺正之、坂本聡三『プロレタリア兵学教程』1974年12月
  • 2.渡辺正之、坂本聡三『ベトナム革命戦争史――勝利への政治-軍事戦略』1976年6月
  • 3.山崎カヲル『新「国軍」用兵論批判序説』1977年6月
  • 4.中村丈夫『或る戦時日誌』1977年2月
  • 5.革命軍事論研究会編『赤軍の形成――ドキュメント赤軍論争史』1981年3月
  • 6.稲垣治『自衛隊の「戦争計画」――胎動する幕僚たちの決意と思考』1978年3月

脚注[編集]

  1. 鹿砦社会社案内 鹿砦社
  2. a b c d e 鹿砦社編集部編『一九六九年 混沌と狂騒の時代 紙の爆弾2019年11月号増刊』鹿砦社、2019年10月
  3. 鈴木邦男『闘う日本語――愛と革命の読書道』エスエル出版会、発売:鹿砦社、1999年、解説
  4. 松岡利康「「鹿砦社」の由来--命名者・中村丈夫氏の死去に際して」『紙の爆弾』2007年6月号
  5. 数々の暴露本を手掛けた鹿砦社松岡社長、出版人生総決算(?)の本とは? サイゾーウーマン(2011年7月9日)

外部リンク[編集]