高木幸二郎
高木 幸二郎(たかぎ こうじろう、1911年1月29日[1] - 1994年)は、マルクス経済学者。九州大学経済学部教授。専門は経済原論、景気変動論[2]。高村雪夫の筆名がある[3]。
経歴[編集]
静岡県田方郡三島町(現・三島市)生まれ。静岡県立沼津中学校卒業[1]。1927年第一高等学校入学。2年次に学内で非公認の一高社会科学研究会に加入。1年後にはマルクス・レーニン主義を信念とする学生運動活動家を自認。1929年に「不穏の行動があった」という理由で一高を放遂。1929年から1930年まで反帝反戦運動の組織に参加するが、内部対立の中で運動には不向きと自覚し、1931年に『資本論』を通じた経済学の研究をするため[3]、同志社大学予科に入学。病気で1年間休んだため4年で卒業し[4]、1935年九州帝国大学法文学部経済科に入学。1938年同卒業、商工組合中央金庫に就職[1]。九大の恩師である波多野鼎や笠信太郎の推輓により[3]、1940年南満州鉄道株式会社上海事務所調査室に就職。1944年大連特別調査室に転勤。1945年現地応召。1949年引揚帰国[1]。1950年外国為替管理委員会に就職。中央大学兼任講師[5]。1951年中央大学商学部助教授。貨幣論、経営財務論を担当[1]。1954年信用理論研究会の設立に参加[6]。1955年中央大学商学部教授。1957年九州大学教授。景気変動論講義を担当、1961年から経済学原論講義を兼担[1]。1960年「恐慌論体系序説」で経済学博士(九州大学)[7]。1962年文部省在外研究員として英国、ヨーロッパ諸国へ出張。1962年福岡・日本チェコスロバキア協会副会長。1963-65年九州大学経済学部長。1969年日本学術会議第8期会員(全国区・第3部)。1974年退職[1]。
人物[編集]
経済学原理論を研究し、著書に『恐慌論体系序説』(大月書店、1956年)、訳書にマルクス『経済学批判要綱(全5分冊)』(監訳、大月書店、1958-65年)がある[8]。
著書[編集]
単著[編集]
- 『貨幣――その理論と歴史』(有信堂、1951年、訂正版1961年)
- 『恐慌論体系序説』(大月書店、1956年)
- 『恐慌・再生産・貨幣制度』(大月書店、1964年)
編著[編集]
- 『再生産と産業循環』(編著、ミネルヴァ書房、1973年)
訳書[編集]
- カール・カウツキー『マルクス主義貨幣論』(高村雪夫訳、労農書房、1933年)
- レオンチエフ、ドッブ『『資本論』解説』(訳編、大月書店[国民文庫]、1954年)
- カール・マルクス『経済学批判要綱(草案)――1857-1858年(全5分冊)』(監訳、大月書店、1958-65年)
- H・クロード編『現代資本主義論』(岡崎次郎訳者代表、青木書店、1958年)
出典[編集]
- ↑ a b c d e f g 「高木幸二郎教授略歴,著書・論文目録(PDF)」『経済学研究』第39号、1974年3月
- ↑ 高木幸二郎編著『再生産と産業循環』、ミネルヴァ書房、1973年
- ↑ a b c 高木幸二郎『恐慌論体系序説』大月書店、1956年
- ↑ 今中次麿、具島兼三郎、高木暢哉、高木幸二郎、吉田法晴、住谷悦治「同志社を語る(PDF)」『同志社時報』第31号、1968年8月
- ↑ 信用理論研究会『講座信用理論体系 第二部 制度篇』日本評論新社、1956年
- ↑ 麓健一「飯田繁教授を語る」、渡辺佐平編『インフレーション理論の基礎』日本評論社、1970年
- ↑ CiNii 博士論文
- ↑ 白川清「高木幸二郎著『恐慌・再生産・貨幣制度』(PDF)」『農業綜合研究』第18巻第4号、1964年10月
- ↑ 建林正喜「経済学研究四十年を回顧して(PDF)」『立命館経済学』第22巻第3・4合併号、1973年10月