高徳寺 (中津川市)
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高徳寺(こうとくじ)とは、岐阜県中津川市蛭川5349(旧恵那郡蛭川村)にある寺院である。恵那三十三観音三十番札所、中部四十九薬師三十五番の札所。
概要[編集]
南北朝時代に信濃国に勢力を持っていた後醍醐天皇の皇子である宗良親王が、その息子の尹良親王を木曽川に沿った当地に派遣して衰退した南朝の勢力を再興させようと図ったとされ、その際に尹良親王が奉持した薬師仏(蛙薬師)を祀ったのがこの寺院の起源とされている。
この寺院はその後、衰退したとされるが、斎藤道三が美濃国を支配するようになった頃に大洪水があり、その際に木曽義仲の持仏といわれる現在の十一面観世音菩薩像を得て普門院と名付け堂宇を再建したと伝わる。
ところが幕末から明治時代にかけての廃仏毀釈で堂宇を失った。しかし間もなく苗木雲林寺最後の住職である剛宗宗載が岐阜県山県郡の高徳寺を移転させる形で再建されて現在に至っている。