馮 習(ふう しゅう、? - 222年)は、中国の後漢末期から三国時代の蜀にかけての武将。字は休元(きゅうげん)[1]。
荊州南郡の出身[1]。劉備の入蜀に従う[1]。221年の夷陵の戦いでは劉備より領軍将軍として実質的な総司令官を任された[1]。しかし連戦連勝を続けたため呉軍を侮るようになり、222年に陸遜により大敗を喫し、自らは呉の潘璋の部下に斬られた[1]。
『三国志演義』では第81回で初登場。史実通り呉軍を各地で破るが、陸遜の火攻めに敗れて張南と共に戦死した。