香宗我部 親氏(こうそかべ ちかうじ、? ‐ 文禄元年(1592年))は、安土桃山時代の武将。長宗我部氏の一族で家臣。香宗我部親泰の長男。長宗我部元親の甥。朝鮮出兵に参加したが、陣中で父に先立って病死した。そのため父の親泰が出陣するものの、親泰も後を追うように翌文禄2年(1593年)に病死し、香宗我部家の家督は親氏の末弟・長寿丸(香宗我部貞親)が継承した[1]。
墓所は高知県香南市(旧香美郡野市町)の宝鏡寺跡にある[2]。