金森 一為(かなもり かずため、永禄3年(1560年) - 天正7年4月1日(1579年4月26日))は、戦国時代の武将。織田氏の家臣。通称は甚七郎(じんしちろう)[1]。
金森長近の一族と見られ、織田信忠の小姓として仕えた[1]。天正7年(1579年)4月1日に同僚の佐治新太郎との口論が原因で刺殺され、織田信長か信忠の命令で新太郎も切腹を命じられている[1]。享年20。