金子勝彦
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金子 勝彦(かねこ かつひこ、1934年〈昭和9年〉8月30日[1] - 2023年〈令和5年〉8月20日[1])は、日本の男性アナウンサー[1]。愛称は、ネコさん[2]。日本におけるサッカー実況の草分け的存在[3]。
来歴・人物[編集]
神奈川県横浜市南区出身[1][3]。横浜中学校・高等学校を経て中央大学法学部卒業[3]。
大学卒業後、1957年(昭和32年)、アナウンサーとして新日本放送に入社、スポーツ中継を担当[1]。1964年(昭和39年)、東京12チャンネルにアナウンサーとして開局と同時に転籍、主な担当番組はスポーツ中継、東京オリンピック開会式、『三菱ダイヤモンドサッカー』など[1]。1974年(昭和49年)、日本初の衛星生中継となったFIFAワールドカップ西ドイツ大会の決勝戦を実況した[1]。1994年(平成6年)、テレビ東京を定年退職、フリーとなる[1]。2002年(平成14年)、Jリーグ特別功労賞受賞[4]。2012年(平成24年)、放送界初の日本サッカー殿堂入り[1]。
2023年(令和5年)7月、神奈川県横浜市内の自宅で腰を強打して転倒、整形外科病院に緊急入院。その後リハビリのために転院したが、体調が急変し8月20日午後5時59分、肺炎のため神奈川県横浜市戸塚区の病院で死去[1]。88歳没[5]。
中学・高校時代〜帰郷[編集]
横浜中学校・高等学校では漢文や古教科書で国語力を身に付ける[6]。
神奈川県立希望ケ丘高等学校サッカー部出身の義弟が1963年(昭和38年)に起きた鶴見事故で事故死[3][6]。それを機に神奈川県横浜市に帰郷する[6]。
脚注[編集]
- ↑ a b c d e f g h i j “サッカー殿堂入り伝説アナ・金子勝彦さん88歳死去 「三菱ダイヤモンドサッカー」で司会・実況”. スポーツニッポン (スポーツニッポン新聞社). (2023年8月29日) 2024年1月3日閲覧。
- ↑ FOOTxBRAIN2012年10月6日のツイート
- ↑ a b c d “金子勝彦さんが日本サッカー殿堂入り サッカー実況の草分け、放送界で初/横浜”. 神奈川新聞 (神奈川新聞社). (2012年9月9日) 2024年1月3日閲覧。
- ↑ “掲額者 金子 勝彦”. 日本サッカー協会. 日本サッカー殿堂. 日本サッカー協会. 2024年1月3日確認。
- ↑ “金子勝彦さん死去 88歳 元テレビ東京アナ「サッカーを愛する皆さん、ご機嫌いかがでしょうか」で20年”. スポーツ報知 (報知新聞社). (2023年8月29日) 2024年1月3日閲覧。
- ↑ a b c “金子 勝彦さん | 日本で初めてサッカーW杯の衛星生中継で実況するなどアナウンサーとして活躍する”. タウンニュース南区版 (タウンニュース社). (2014年6月12日) 2024年1月3日閲覧。