鄭泰
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鄭 泰(てい たい、生没年不詳)は、中国の後漢末期の政治家。字は公業(こうぎょう)[1]。弟は鄭渾。子は鄭袤。
生涯[編集]
司隷河南郡開封県の出身[1]。計略に長けていると評判で何進に召されて尚書侍郎となる[1]。189年に何進が宦官を一掃するために董卓を洛陽に呼び寄せようとすると鄭泰は反対したが聞き入れられず、董卓を危険視して官位を捨てて逃亡した[1]。董卓が政権を握ると召されて議郎に任命されるが、190年に董卓が長安に遷都すると荀攸や何顒らと共に董卓暗殺計画に加担するが失敗して逃亡[1]。袁術を頼って亡命し、その下で揚州刺史となるが、着任する前に41歳で死去した[1]。
『三国志演義』では何進が董卓を召す事に反対するまで登場。逃亡後は登場しなくなる。