鄧賢
ナビゲーションに移動
検索に移動
鄧 賢(とう けん、生没年不詳)は、中国の後漢末期から三国時代の魏にかけての武将[1]。
生涯[編集]
212年の劉備の入蜀の際には劉璋の武将として劉璝・冷苞・張任らと涪城で劉備軍と戦ったが敗れて綿竹に籠城した[1]。これを機に消息が一時不明となる[1]。
228年、当時魏に寝返っていた叔父の孟達が再度蜀に寝返ろうとしたため、裏切って城門を開いて司馬懿率いる魏軍を城内に導き入れた[1]。
212年から228年の16年間、どこにいたのかは史料上からは読み取れないが、孟達の甥ということは劉備の部下となり、叔父と共に魏に寝返った可能性がある。
『三国志演義』では劉璋に仕えて奮戦するも黄忠に矢で射殺された鄧賢、そして孟達が蜀に帰順しようとした際に登場する甥の鄧賢は別人として扱われている。