脩 允(しゅう いん、生没年不詳)は、中国の三国時代の呉の武将。父は脩則。
268年に父が西晋の毛炅により殺されると、脩允は毛炅を父の仇敵として報復を図り、271年に西晋領の交州を攻めて毛炅を捕虜にした[1]。脩允は毛炅を処刑してほしいと願い出て、毛炅を生きながらにして腹を裂いて殺したという[1]。
279年前後に死去したようであり、彼の没後に部下の郭馬が呉に対して反乱を起こしている[2]。