路招
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路 招(ろ しょう、生没年不詳)は、中国の後漢末期の武将。曹操の家臣。
生涯[編集]
199年に劉備が曹操の許可を得て袁術討伐に向かう際、曹操の命令で朱霊と共に劉備の指揮下に入れられた[1]。袁術討伐が成功すると朱霊と共に曹操の下に帰還した[1]。208年に曹操が劉表討伐として南下する際、趙儼の指揮下に入っている[1]。212年には朱霊と共に夏侯淵の指揮下に入って長安に駐屯した[1]。
『三国志演義』では路昭と表記され、朱霊と共に劉備の指揮下に入って袁術討伐に向かうのは史実どおりである。しかし兵と劉備を徐州に残留させて曹操の下に帰還したため、曹操の怒りに触れて処刑されかけるが、荀彧の取り成しで助命されている。