諸葛 攀(しょかつ はん、生没年不詳)は、中国の三国時代の蜀・呉の武将。父は諸葛喬。祖父は諸葛瑾。養祖父で大叔父が諸葛亮。子に諸葛顕。
父の諸葛喬は実子になかなか恵まれなかった叔父の諸葛亮の養子になり、諸葛攀は蜀で生まれたものと考えられる。父は228年に早世し、諸葛攀は蜀の劉禅に仕えて行護軍翊武将軍に任命された[1]。
253年に伯父の諸葛恪が孫峻により一族まとめて皆殺しにされた際、諸葛攀のみは蜀に在籍していたため難を逃れた。このため呉における諸葛瑾の家系が絶えたために呉に帰国して諸葛瑾の家系を継いだが、早世したという[1]。
- ↑ a b 中国の思想刊行委員会『三国志全人名事典』徳間書店、1994年、168頁
参考文献[編集]