試製九九式練習用爆撃機

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試製九九式練習用爆撃機(しせいきゅうきゅうしきれんしゅうようばくげきき)は、大日本帝国海軍1943年に計画し、太平洋戦争終了まで7機が完成したものの、実戦に投入されなかった軍用機である。

登場に至った経緯[編集]

金属資源の枯渇[編集]

太平洋戦争開戦後、大日本帝国海軍は陸上機の離着陸のために太平洋の島嶼を次々確保したが、戦局の悪化はそれらからの日本への輸送に大きな障害を与えた。連合国軍の通商破壊によって多くの輸送船が沈められ、軍用機の機体に使われるジュラルミンの原料のボーキサイトが入手しにくくなった。

他国の動向[編集]

ソビエト連邦グレートブリテン及び北アイルランド連合王国では機体が木製の軍用機を完成させ、実戦に投入していた。大日本帝国海軍がこういった他国の動向を把握していたかは不明であるが、金属資源が枯渇しつつある中で大日本帝国海軍も木製機の制式化を決定した。

概要[編集]

九九式艦上爆撃機の機体を木製にした軍用機である。エンジンとプロペラは九九式艦上爆撃機と同じである。大きく異なるのが翼で、楕円翼を木材で製作するのが困難なため直線テーパー翼となった。機体と風防は延長されている。機体を木製にしたのは前述のように金属資源の枯渇にあるが、木製機の特質であるレーダーに写らないというステルス機としての期待も持たされ、「明星」の名称も付けられた。

木材資源の枯渇[編集]

木材は乾燥工程が必要で、製材工程も熟練が必要である。また、日本国内では良質な木材が枯渇しており、低質な木材しかなかった。そこで、低質な木材を貼り合わせた合板を作り、これを機体に使用することにした。これには尿素系接着剤の製造ができる高度な化学工業力が必要であった。

生産[編集]

生産は松下電器が請け負った。同社は紙や帆布に合成樹脂を染み込ませた配電盤を製作しており、その技術を転用できることを期待されての使命であった。航空機生産会社が創業されて生産が始まったが、人員不足によって生産が滞り、さらに度重なる設計変更によって完成した機は少なかった。

参考文献[編集]