九九式艦上爆撃機

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九九式艦上爆撃機(きゅうきゅうしきかんじょうばくげきき)は、大日本帝国海軍1939年に採用した艦上爆撃機である。

開発に至った経緯[編集]

大型の主力航空母艦の落成が相次ぐ大日本帝国海軍は搭載する高性能の新型艦上爆撃機の開発を急いでいたが、その開発は非常に遅れていた。このため、九四式艦上爆撃機のエンジンを載せ替えた九六式艦上爆撃機の配備を始めていたが、いつまでも暫定的なこの機体を使うわけにはいかなかった。そこで新型艦上爆撃機が完成するまでの繋ぎとして開発されたのが本機であった。愛知時計電機中島飛行機の競作となった。しかし中島飛行機は納期に間に合わなかった。

概要[編集]

単発単葉複座の急降下爆撃機である。大日本帝国海軍の性能の要求レベルは九六式艦上爆撃機よりも優れていればこれと同様な複葉機でも構わないとされたが、性能の向上には単葉とし、エンジンも新型のものを搭載することになった。一方で、翼はドイツ空軍で実績のあった楕円翼とし、降着装置は固定脚という保守的なものであった。これは設計した愛知時計電機が引き込み脚の実績がなく、技術的冒険を避けた結果であった。

改良[編集]

  • 安定性を高めるために垂直尾翼に背びれを設置。
  • 発動機の出力強化。

戦歴[編集]

太平洋戦争開戦初頭、最新鋭の艦上爆撃機「彗星」はわずか5機の試作機が配備されていたにすぎず、南方への偵察機として使用されたのに対し、真珠湾攻撃に参加した航空母艦6隻すべてに九九式艦上爆撃機が配備されていた。零式艦上戦闘機九七式艦上攻撃機とともに大日本帝国海軍機動部隊の中核としてミッドウェー海戦まで各地で戦果を上げた。

派生機[編集]

1943年に機体を全木製とした試製九九式練習用爆撃機「明星」が計画され、7機が完成したが、重量過大による性能低下が認められ、実戦に投入する前に戦争は終わった。

評価[編集]

新機軸を排し、従来の技法で手堅く堅実にまとめた機体は、同時代他国の艦上爆撃機に比べて性能はやや劣ったものの、真珠湾攻撃に間に合い、その後の各地で数多くの戦果を上げた。決して優秀な機体ではないが、投入する時期を逸していない点は主力空母を失った後続の「彗星」と比べて兵器とはこうあるべきという姿であった。

参考文献[編集]