許貢
ナビゲーションに移動
検索に移動
許 貢(きょ こう、? - 200年)は、中国の後漢末期の政治家で呉郡太守[1]。
生涯[編集]
後漢王朝の官僚で、旧友の許靖が身を寄せた事もある[1]。呉郡の都尉を務めていたが、同郡太守の盛憲を攻撃して追放し、自ら太守を称した[1]。周喁が袁術に敗れて帰郷した際には殺害した[1]。孫策が江南平定を目指して攻めてきた際には由拳で戦うが敗れて厳白虎の下に身を寄せている[1]。
200年、孫策が曹操の主力が官渡の戦いで出兵して都を留守にしている間に襲撃を企てたため、許貢は朝廷にこれを上表したが孫策に発覚し、激怒した孫策により捕らえられ絞刑(縊り殺す死刑)に処された[1]。
死後、許貢の末子と3人の食客により敵討ちが行なわれ、いずれも孫策に倒されたが孫策も深手を負って死んだ[1]。
『三国志演義』でもほぼ同じだが、食客は程普に斬られて孫策は一時的に助かっている。だがやがて負傷が原因で死ぬことになる。