西武黄金時代
西武黄金時代(せいぶおうごんじだい)とは、西武ライオンズが1980年代前半から1990年代中期までの間で11度のリーグ優勝、8度の日本一に輝いた時代である。
概要[編集]
この時代の西武は、1982年(昭和57年)に根本陸夫監督に代わり監督に就任した広岡達朗監督・森昌彦ヘッドコーチのもと、田淵幸一・山崎裕之らベテラン陣の活躍もありリーグ優勝・日本一を達成。後の黄金時代の礎を作る。さらに、1986年(昭和61年)に就任した森祇晶監督のもと、秋山幸二・清原和博のAK砲を中心に、伊東勤・石毛宏典・辻発彦・田辺徳雄・安部理といった野手陣に加え、東尾修・渡辺久信・工藤公康・松沼博久・松沼雅之・渡辺智男・石井丈裕・新谷博・潮崎哲也・鹿取義隆などといった投手陣も活躍した。さらに、テリー・バークレオ・オレステス・デストラーデ・郭泰源といった外国人選手も活躍した[1]。
1982 | 1983 | 1984 | 1985 | 1986 | 1987 | 1988 | 1989 | 1990 | 1991 | 1992 | 1993 | 1994 | |
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1位 | 西武 | 西武 | 阪急 | 西武 | 西武 | 西武 | 西武 | 近鉄 | 西武 | 西武 | 西武 | 西武 | 西武 |
2位 | 日本ハム | 阪急 | ロッテ | ロッテ | 近鉄 | 阪急 | 近鉄 | オリックス | オリックス | 近鉄 | 近鉄 | 日本ハム | オリックス |
3位 | 近鉄 | 日本ハム | 西武 | 近鉄 | 阪急 | 日本ハム | 日本ハム | 西武 | 近鉄 | オリックス | オリックス | オリックス | 近鉄 |
4位 | 阪急 | 近鉄 | 近鉄 | 阪急 | ロッテ | 南海 | 阪急 | ダイエー | 日本ハム | 日本ハム | ダイエー | 近鉄 | ダイエー |
5位 | ロッテ | 南海 | 南海 | 日本ハム | 日本ハム | ロッテ | 南海 | 日本ハム | ロッテ | ダイエー | 日本ハム | ロッテ | ロッテ |
6位 | 南海 | ロッテ | 日本ハム | 南海 | 南海 | 近鉄 | ロッテ | ロッテ | ダイエー | ロッテ | ロッテ | ダイエー | 日本ハム |
1982年 | 西武 | 4-2 | ○ | ○ | ● | ● | ○ | ○ | 中日 | ||
1983年 | 西武 | 4-3 | ○ | ● | ● | ○ | ● | ○ | ○ | 巨人 | |
1985年 | 西武 | 2-4 | ● | ● | ○ | ○ | ● | ● | 阪神 | ||
1986年 | 西武 | 4-1-3 | △ | ● | ● | ● | ○ | ○ | ○ | ○ | 広島 |
1987年 | 西武 | 4-2 | ● | ○ | ○ | ● | ○ | ○ | 巨人 | ||
1988年 | 西武 | 4-1 | ○ | ● | ○ | ○ | ○ | 中日 | |||
1990年 | 西武 | 4-0 | ○ | ○ | ○ | ○ | 巨人 | ||||
1991年 | 西武 | 4-3 | ○ | ● | ○ | ● | ● | ○ | ○ | 広島 | |
1992年 | 西武 | 4-3 | ○ | ○ | ● | ○ | ● | ● | ○ | ヤクルト | |
1993年 | 西武 | 3-4 | ● | ● | ○ | ● | ○ | ○ | ● | ヤクルト | |
1994年 | 西武 | 2-4 | ○ | ● | ● | ○ | ● | ● | 巨人 |
特徴[編集]
根本陸夫監督は監督時代に野村克也、山崎裕之、田淵幸一、古沢憲司を獲得。ドラフトでも、松沼博久、松沼雅之、石毛宏典など徐々に戦力を集め、広岡達朗監督のもと1982年に日本シリーズを制覇する。広岡は、菅理野球といわれる厳しい自己菅理と守備重視の「勝つ野球」を行った[2]。しかし、1985年に2勝4敗で敗れ、シーズン終了後広岡監督は辞任。当時、1軍ヘッドコーチを務めていた森昌彦が監督に就任した。
西武黄金時代以後[編集]
西武黄金時代のメンバーからプロ野球監督・コーチになった者が多い。後に西武の監督を務めたのは、東尾修・伊原春樹・伊東勤・渡辺久信・田辺徳雄・辻発彦である。また、他球団では、秋山幸二・工藤公康はソフトバンクで監督を務めた。伊東は、西武で監督を務めた後、ロッテの監督を歴任した。他にも森繁和は中日でコーチを務めた後、中日の監督に就任。石毛宏典はオリックスの監督を務め、田淵幸一はダイエーで監督を務めた[3][4]。