蒲生秀行廟

出典: 謎の百科事典もどき『エンペディア(Enpedia)』
ナビゲーションに移動 検索に移動

蒲生秀行廟(がもうひでゆきびょう)とは、福島県会津若松市館馬町8に存在する蒲生秀行の墓所である。

概要[編集]

薬師堂の脇、弘真院境内にある高さ3メートルの五輪塔が秀行の墓所である。秀行は蒲生氏郷織田信長の娘・冬姫との間に生まれた戦国武将で、文禄4年(1595年)の父の死去により、わずか13歳の若さで91万9300石の大領地を相続する。しかし、豊臣秀吉石田三成の画策で蒲生騒動という御家騒動を理由に、あるいは冬姫を見初めた秀吉が自らの側室になるように強要したのを拒否したためともされるが、慶長3年(1598年)1月に秀行は下野国宇都宮城に18万石で減移封されてしまう。秀吉没後の関ヶ原の戦いで秀行は岳父である徳川家康に属したため、戦後に会津60万石に復帰を許された。しかし、秀行は寿命に恵まれず、慶長17年(1612年)に30歳の若さで死去し、当地に葬られたという。

アクセス[編集]