華 表(か ひょう、204年 - 275年)は、中国の三国時代の魏から西晋にかけての武将・政治家。父は華歆。弟は華博・華周。子に華廙・華嶠・華澹。字は偉容(いよう)[1]。
華歆の長男[1]。223年、文帝から散騎黄門郎に任命される[1]。魏の滅亡頃までに清河郡太守、侍中、尚書など要職を歴任して観陽伯に封じられる[1]。
265年に魏が滅亡して西晋が成立すると武帝から太子少傅に任命され、さらに光禄勲・太常卿に任命された[1]。275年に死去[1]。享年72。死後に康(こう)と諡号を贈られた[1]。