菅沼家譜
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菅沼家譜(すがぬまかふ)とは、三河国の国衆だった菅沼氏に関する史料である。
概要[編集]
著者・成立年代[編集]
奥書によると、著者は菅沼定実である。成立は延宝5年(1677年)正月である。
奥書によると、著者の定実は自家に家譜が存在しないことに嘆き、30年にわたって集めた資料や家の伝承を1冊にまとめ上げたという。なお、成立は延宝5年だが、貞享元年(1684年)4月の記載があるため、恐らく完成した後に改訂を加えたのだと思われる。なお、改訂部分は簡略化されている。
内容[編集]
三河菅沼家の発祥、菅沼定昭まで菅沼家6代にわたる事績をまとめ上げた家歴である。全1巻。主に菅沼家の功績について記されている。
1つ書きの形式がとられており、菅沼家は土岐氏の流れを汲む浅野資長が菅沼郷に移り住み、菅沼伊賀守資長と称したというところから始まっている。続いて資長から5代の孫の菅沼定則、そして菅沼定村、菅沼定盈、菅沼定仍、菅沼定芳、定昭と6代の伝が載せられている。この中で最も詳しいことが書かれているのは、今川氏から徳川家康、織田信長などに従った定盈の記録で、武田信玄や武田勝頼時代に受けた侵攻や長篠の戦いについての記録が載せられている。定昭の死後、彼に子が無かったため菅沼家は無嗣改易となるが、定盈が家康に仕えた功臣であることから江戸幕府より特別の計らいを受けて名跡存続を許されて正保5年(1648年)閏正月に旧領の新城城を与えられた記事、そして家人の名前を列記したのが最後の記録である。また、定村が戦死した雨山合戦や長篠の戦いの際の絵図も記されている。