興国寺藩
ナビゲーションに移動
検索に移動
興国寺藩(こうこくじはん)とは、江戸時代初期のわずかな期間だけ駿河国に存在した藩である。藩庁は興国寺城。藩主家は譜代大名の天野氏。石高は1万石。現在の静岡県沼津市に存在した。
概要[編集]
慶長6年(1601年)2月、徳川家康の重臣・天野康景が家康から1万石を与えられて下総国大須賀から駿河国興国寺に移り、立藩した。天野氏の所領は駿東郡興国寺城で7000石、富士郡3000石であった。
慶長12年(1607年)3月9日、康景は突如として城を捨てて息子の天野康宗と共に逐電したことから改易・廃藩となった。逐電の理由は天領と興寺城領の農民の出入りに際し、天領の農民が家康に直訴して興寺城領の農民が処罰されそうになったことから、康景は自分の農民を守るためにあえて家康の命令に背いて身を隠したのだとされている。
歴代藩主[編集]
- 天野家
1万石。譜代。