織田 広良(おだ ひろよし、? - 永禄4年5月23日[1](1561年7月5日)?)は、戦国時代の武将。別の名前は與康[1]、玄信[1]。通称は勘解由左衛門尉[1]。父は織田信康。兄は織田信清[1]。織田信長の従兄弟にあたる[1]。子に織田信家。美濃十九条城主。
永禄4年(1561年)3月に剣光寺・黒田明神・法光寺白山宮に対して禁制を発給した[1]。5月、美濃斎藤氏の攻撃を受け、信長の支援を受ける激戦になる中で広良は当時は斎藤氏の家臣であった野々村正成に討ち取られた(軽海の戦い)[1]。