織田家7代の墓
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織田家7代の墓(おだけ7だいのはか)とは、群馬県甘楽郡甘楽町大字小幡1416の臨済宗崇福寺境内に存在する墓である。
概要[編集]
この墓は小幡集落の南のはずれに近い所にあった臨済宗小幡山崇福寺境内の山麓にある。
天正10年(1582年)6月の本能寺の変で織田信長が死去した後、織田氏は没落し、その家系は次男の織田信雄によって継承された。信雄は豊臣秀吉に改易されたが、後年になって復帰し、徳川家康の時代になると上野国小幡藩に5万石の所領を与えられて大名となった。以後、織田家は信雄・織田信良・織田信昌・織田信久・織田信就・織田信右・織田信富と7代続いたが、8代目の織田信邦の時の明和4年(1767年)に明和事件に関与して江戸幕府によって出羽国高畠藩に左遷されている。
この墓はそのため、小幡藩を約150年間にわたって支配した織田氏7代(信雄・信良・信昌・信久・信就・信右・信富)のものであり、墓は五輪塔型である。