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粟屋 元隆(あわや もとたか、? ‐ 元亀元年(1570年)?)は、戦国時代の武将。若狭武田氏の家臣。
粟屋勝久の同族で、官途は右京亮。
弘治3年(1557年)11月25日付の楊井讃岐守宛の若狭国人らの連署状に名を連ねている。
永禄11年(1568年)、織田信長が上洛すると、他の若狭国衆と共に信長に降る。元亀元年(1570年)10月、信長に従わない武田信方に味方して山県氏の城を攻撃しているが、信長により討伐軍を送られて没落し、殺害されたといわれている。元隆の所領は信長によって逸見昌経に与えられた。