穴山清五郎
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穴山 清五郎(あなやま きよごろう、? - 永正10年(1513年?))は、戦国時代の武将。甲斐河内の領主・穴山家の一族。兄弟に信永、信堯、信綱。
生涯[編集]
父は穴山信懸。永正10年(1513年)5月27日に清五郎は父の信懸を殺害した(『勝山記』)。当時、穴山家は武田信虎か、今川氏親・北条早雲連合かのどちらに与するかで対立があったとされ、信懸は今川・北条連合に通じながらも信虎に娘を嫁がせてかなり親密な関係にあったと見られている[1]。清五郎はこの関係をめぐって父親と対立し、殺害に及んだものと推測されている[1]。
なお、清五郎はその後記録に登場せず[1][2]、穴山家の家督は信綱が相続しているため、信綱に父親殺しを咎められて粛清されたものと思われる[3]。