穴太記
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穴太記(あのうき)とは、戦国時代の天文年間に関する畿内情勢を表した史料である。
概要[編集]
著者・成立年代[編集]
著者も成立年代も不明である。
内容[編集]
天文17年(1548年)から天文19年(1550年)までの間に関する畿内情勢について記録したもので、三好長慶が一族の三好宗三父子と対立して戦い(江口の戦い)、遂に宗三は戦死する。室町幕府の第13代将軍・足利義輝とその父で前将軍の足利義晴は細川晴元と和睦し、天文18年(1549年)に慈照寺の近辺に築城しようとしたが、それが完成しないうちに義晴は病気に倒れて穴太に移って死去する。その事情がよく語られている。
ただ、最後は畿内の実力者となった三好長慶が豊後国の大友義鑑の家臣に殺害されるという荒唐無稽なものとなっている。