神道大成教

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神道大成教(しんとうたいせいきょう)は、日本の神道教団。教派神道十三派の一つ[1]。略称・通称は大成教[2]

概要[編集]

文化庁発行の『宗教名鑑 平成28年版』によれば、管長は飯田典親、本部所在地は東京都渋谷区神宮前6-5-3神道大成教天照山神社分祠事務所内[3]。神社数7、教会数23、布教所数2、宗教法人数15、教師数174人、信者数2万1587人[4]

1882年明治15年)5月15日に教派神道の一つとして独立した[5]。創始者は平山省斎(1815年 - 1890年)。崇拝対象は大成大神(天之御中主神高皇産霊神神皇産霊神天照皇大神伊邪那岐神建速素戔男神大国主神[2]

『宗教学辞典』は教派神道系諸教団を、①山岳信仰系(実行・扶桑・御嶽)、②純教祖系(黒住・金光・天理)、③禊系(禊・神習)、④儒教系(修成派・大成)、⑤復古神道系(出雲大社・神理教・神道大教)に区分している[1]

歴史[編集]

幕末に外国奉行などを務めた平山省斎が、明治維新後は神道の布教活動に転じ、1879年(明治12年)10月に禊教御嶽信仰系の教団を結集させて、大成教会を組織した[6]。1880年(明治13年)に御嶽教会が合同し、1882年(明治15年)7月には蓮門教が結集した[7]。1882年(明治15年)5月、神道大成派として一派独立し、同年11月[5]神道大成教に改称した[6]。御嶽教会は1882年(明治15年)9月に神道御嶽派として一派独立し[7]、同年中に御嶽教に改称している[8]。平山は1884年(明治17年)に神道大成教初代管長に就任し、1885年(明治18年)[5]まで御嶽教の初代管長も兼任した[6]

1890年(明治23年)に様々な教団をまとめていた平山が死去し、また大成教所属の蓮門教が明治20年代後半以降『万朝報』などから批判されたこともあり、以後は教勢が衰退している[9][10]。1945年(昭和20年)に文京区の教務庁が戦災で焼失したため、台東区に移転した。1947年(昭和22年)2月に宗教法人令による宗教法人、1952年(昭和27年)7月に宗教法人法による宗教法人となった[9]。戦後、奈良県生駒郡大道教など、いくつかの所属教会が別の宗教法人として独立していった[5][9]。2002年(平成14年)5月に立教120周年を記念して『平山省斎と明治の神道――神道大成教立教百二十周年記念』(鎌田東二著、春秋社)が出版された[11]

脚注[編集]

  1. a b 文化庁編 2017, p.4-6
  2. a b 教団データベース、公益財団法人国際宗教研究所宗教情報リサーチセンター
  3. 文化庁編 2017, p.105
  4. 文化庁編 2017, p.58-59
  5. a b c d 菅田 1994, p.178-180
  6. a b c 井上ほか編 1990, p.127-128,556
  7. a b 井上ほか編 1990, p.795
  8. 島田監修 2011, p.258
  9. a b c 井上ほか編 1990, p.127-128
  10. 國學院大學日本文化研究所編 1994, p.468
  11. 島田監修 2011, p.291

参考文献[編集]

  • 井上順孝ほか編『新宗教教団・人物事典』弘文堂、1990年
  • 國學院大學日本文化研究所編『神道事典』弘文堂、1994年
  • 島田裕巳監修『現代にっぽん新宗教百科』柏書房、2011年
  • 菅田正昭『古神道は甦る』橘出版、1994年
  • 文化庁編『宗教名鑑 平成28年版』(PDF)文化庁、2017年

関連項目[編集]

外部リンク[編集]