教派神道

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教派神道(きょうはしんとう)とは、幕末から明治初期に民間で起こり、明治政府によって公認された14の神道系教団の総称。別称は宗派神道宗教神道国家神道神社神道とは区別される。

1876年から1908年までに14派が公認されたが、神宮教が1899年に神宮奉賛会となり離脱したため13派となった。この13派を神道十三派(しんとうじゅうさんぱ)と呼ぶ。連合組織として教派神道連合会があり、戦後に神道十三派ではない大本が加盟している。教祖・創始者がいる点が特徴である(神道大教はいない)。

成立[編集]

教派神道の成立には明治政府の宗教行政が深くかかわっている。明治政府は祭政一致の布教機関として1872年に大教院を設置したが、信教の自由や政教分離を求める声が強くなったため、1875年に解散した。これを受けて神道側は神道事務局を設立し、その中から神道黒住派(後の黒住教)と神道修成派が独立した。1882年には内務省が祭祀と宗教を分離する通達を出した。これによって国家の祭祀としての国家神道と教派神道が明確に区別され、同年神道事務局から7つの教派が独立した[1]。神道事務局は解散し、1886年に神道本局(教名は神道、後の神道大教)として一つの教派となった[2]。1895年に御嶽教から神理教が独立、神道本局からは同年に禊教、1900年に金光教、1908年に天理教が独立した。1899年に神宮奉賛会となり解散した神宮教を除くこれら13の教派が、明治末期以降に神道十三派と呼ばれるようになった[1]。戦後の宗教団体法の廃止、宗教法人法の施行により、「教派神道」「神道十三派」に法的な意味合いは無くなった[2]

神道十三派[編集]

分類[編集]

菅田正昭は、「教祖の強烈な信仰体験によるもの」(黒住・禊・天理・金光)、「明治維新によるもの」(神習・大成・修成派・神理教・神道大教)、「山岳宗教および民俗宗教」(実行・扶桑・御嶽・出雲大社)に区分している[3]

文化庁の『宗教名鑑 平成27年版』には、教派神道系として69の宗教法人の名称が記載されている[4]。教派神道系諸教団は制度的な経緯から「十三派」「その傘下に入っていて戦後分離・独立した教団並びにそれらの教団の系譜を引くもの」「それらの教団とは別に成立したもの」に分けられるとし、年鑑では前二者を教派神道系、後者を新教派系に分類している[5](天理教は諸教に分類されている[6])。また教派神道系諸教団を『宗教学辞典』に従い、①山岳信仰系(実行・扶桑・御嶽)、②純教祖系(黒住・金光・天理)、③禊系(禊・神習)、④儒教系(修成派・大成)、⑤復古神道系(出雲大社・神理教・神道大教)に区分している[7]

脚注[編集]

  1. 1.0 1.1 井上ほか編 1990, p.24-25
  2. 2.0 2.1 井上編 2005, p.282-283
  3. 菅田 1994, p.125
  4. 文化庁 2016, p.103-107
  5. 文化庁 2016, p.4-5
  6. 文化庁 2016, p.122
  7. 文化庁 2016, p.5-6

参考文献[編集]

  • 井上順孝編『現代宗教事典』弘文堂、2005年
  • 井上順孝ほか編『新宗教事典』弘文堂、1990年
  • 菅田正昭『古神道は甦る』橘出版、1994年
  • 文化庁編集『宗教名鑑 平成27年版』文化庁、2016年

関連項目[編集]

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