石巻城
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石巻城(いしのまきじょう)とは、現在の宮城県石巻市日和が丘2丁目にかつて存在した日本の城である。現在は日和山公園(ひよりやまこうえん)となっている。
概要[編集]
石巻市の中央に横たわる鰐山の東端に位置しており、北上川と石巻市街地を眼下に収める景勝地でもある。
この城は平安時代末期の文治年間(1185年から1190年)に、源頼朝が藤原泰衡を滅ぼした奥州合戦の時に軍功を挙げた葛西清重に35万石(推定)の領地を支配するために築城したのが起源といわれている。記録によると、南北が10町8間、東西が13町4間の規模であったという。葛西氏は奥州探題に就任して奥州で勢力を振るったが、安土桃山時代に伊達政宗が豊臣秀吉に降伏した際、秀吉の命令により廃城とされてしまった。伊達政宗は仙台市の青葉城より、石巻城を居城にしたいという考えがあったとされ、江戸幕府への届け出では築城候補地に日和山を第2志望地としている。これは、徳川家康が第2志望地を許可することが多かったためと言われている。
石巻城の遺構は本丸の周辺に巡らされた空堀のみで、わずかに痕跡をとどめているに過ぎない。また、標高僅か50メートル余りの小さな丘で、そこまで大した要害というわけでもなかったようである。
ただ、長浜に雲雀野、野蒜海岸はもとより、牡鹿半島や松島一帯を指呼のうちに眺めることができ、相馬・蔵王・栗駒方面をも遠望することができる。頂上には鹿島御児神社が鎮座しているが、この境内が石巻城の本丸であったと言われている。現在は日和山公園として整備されており、春の日和山は全山が桜に覆われ、初夏には3000株のツツジが咲き誇って景観が非常に素晴らしい。