相馬中村城
ナビゲーションに移動
検索に移動
相馬中村城(そうまなかむらじょう)とは、現在の福島県相馬市塚ノ町にかつて存在した日本の城である。単に中村城とも言われる場合と、別名の馬陵城(ばりょうじょう)で呼ばれる場合がある。相馬の由来は相馬氏がこの城を居城としたことからである。
概要[編集]
江戸時代初期の慶長16年(1611年)、相馬中村藩主の相馬利胤は、それまでの居城である小高城から中村に新たな居城を築いて移り、ここを相馬氏6万石の居城に定めた。この城は相馬領でもかなり北側に位置しているので、こんな場所になぜ移ったのかと言えば、恐らく相馬氏の長年のライバルである伊達政宗を意識して牽制するために行われたのではないかと推測される。この城は南に宇多川、北に小泉川がそれぞれ東に流れていてこの両河川が自然の要害と化しており、さらにその内側に水堀を巡らして、天守閣はさらに一段高いところに存在するというかなりの堅城であった。
寛文10年(1670年)に天守閣が落雷を受けて焼失するが、大手門をはじめ石垣、土塁、水堀、古井戸などの遺構は現在まで残ってかつての面影を現在に伝えている。城跡には中村神社、相馬神社などの神社が鎮座し、2の丸球場、児童公園、長友グラウンドなども存在する。
現在では黒橋、赤橋など情緒に富んだ散策地もあり、相馬市民の憩いの場ともなっている。