王蕃
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王 蕃(おう はん、226年 - 264年)は、中国の三国時代の呉の天文学者・数学者・政治家。字は永元(えいげん)[1]。弟は王著・王延。
生涯[編集]
揚州廬江郡の出身[1]。博学で方術に優れ、呉で尚書郎になるも辞職する[1]。孫休に仕えて散騎中常侍に任命され、蜀への使者を勤めて帰国後に夏口の督となる[1]。孫休の死後は孫皓に仕えて常侍に任命されるが、孫皓に対してその意向に反する意見を述べたので孫皓から恨まれる[1]。孫皓が宴会を開いた際に王蕃は酔い潰れ、孫皓は酔った振りをしていると疑って王蕃を外に連れ出した[1]。ところが王蕃が戻ってくると立ち振る舞いが立派だったので孫皓は激怒して正殿の前庭で殺害したという[1]。享年39。
『三国志演義』には登場しない。